第1回本所−支所研究交流会の感想

安井達夫


 そもそも東北水研の本所は、昭和24年初代木村喜之助所長の下に、カツオとサンマの漁況研究グループを中核とし、少数の増殖研究者と利用加工研究者を加えた海区水研として発足した。一方八戸支所は、昭和22年に開設された農林省水産試験場宮古臨時試験地にいた漁具漁法研究グループに僅かな生物研究者を加えて、資源研究を強化する態勢ををとって八戸に転居して発足したものであった。従って、水試から水研に機構改革されたとき、東北水研に移るかべきか東海水研の漁具漁法部にとどまるべきかが内部で議論されたのだが、設置場所からみても、漁具漁法部の出店とはいいながら、当時の中型機船底びき網漁業の減船整理問題に対応した底魚の資源研究に着手していたという仕事の実態からいっても、東北水研に所属するのが当然であるという結論に達し、1年遅れて昭和25年に東北水研八戸支所として発足したものであった。
 このような事情から発足当時の所内研究発表会に支所の数名が1〜2度参加したり、本所の開所式に多数が参加したほかは、木村所長が東北大学の畑中助教授(当時)らを連れてポピュレーションダイナミックスの講義のため2〜3度支所を訪れただけで、研究者同志の交流は公式には全くなかった。また、昭和37年頃、機構改革にからんで、前後2回の本所支所合同の全所会議が開かれたが、この時は、利用部の東京集中と弱体な海洋部の発足や全国的な支所試験地廃止という情勢の中で、本所支所全体の態勢の改革を看板にしながら、実は支所からの人員の吸上げ、もしくは支所の本所各部の下請化をねらった本所側の注文の場という性格が強かった。それ以来本所支所の研究問題についての全所的な交流は全く断えてしまった。
 しかし、機構改革問題や資源研究の目的論や方法論が喧ましくなるにつれて、本所資源部と支所の間だけでなく、全所的な研究者同志の話し合いが必要であるという気運は次第に高まり、数年前から具体化のためのやりとりがあったが、話し合いの方法とテーマがまとまらず実現を見なかった。支所側は半ばあきらめていたところ、昭和50年度の予算配分会議で交流会旅費が公認されることになり、さて、何をしようかと思い余っていたが、折角旅費が公認されたのに何もしないというのはおかしいというところから、先ずは一番関係の深いはずの資源部と支所の交流から始めることとなった。具体的にはテーマをきめず、第1回は資源部の数名が支所に来て、仕事の内容を紹介し支所側が聞くというところから始めることとし、長い間の懸案であった交流会がやっと実現したのであった。
 交流会の全容については追って議事録を作ることになっているので、それを見ていただくとして、ここではサンマ資源の研究に関した部分(それが交流会の主要な部分であった)を主に紹介し、私の感想をのべて報告にかえたい。
 まず、石田資源部長から本所におけるサンマ、カツオの資源研究についてサンマを中心として総括的紹介があった。それを要約すると、現在の調査研究は、昭和47年の第22回サンマ資源研究討論会で論議された第2次計画に基づいて行われつつあるが、この計画の立案にあたっては専門別に責任者による話題の提供とディスカッサーを決めて討議し、部門別に問題点を整理し、更に一昨年に一部補足し、昨50年3月の第24回討論会のシンポジュームで最終的な検討を行った。しかし、総括整理は行われず、従って具体的な研究計画は未だ完成していない。今年の研究討論会で総括整理案が提起検討されて決定することになっているが、現在までに整理された問題点及び研究課題は次のとおりである。

1.サンマ資源研究の特徴
 戦後の資源研究はポピュレーション・ダイナミックスが主流を占めている中で、サンマの資源研究は漁況論を基盤とした研究を展開し、特異な存在であった。これにはそれなりの利点と弱点があった。
2.問題点
(1)研究上基本的な問題点
(イ) 個別研究においてはその限界性を明確にすること。例えば背椎骨数の変異などの場合、それと水温とか塩分とかの外部環境との関係の生物学的限界性を明確にすることが重要である。これはサンマの研究ばかりでなく、魚類、否、応用生物研究全体の共通の弱点である。
(ロ) 対象研究課題を他の研究課題と切り離して考えず、関連する諸研究課題としてとらえること。これは年令・成長・食性・系統群などの研究課題の場合強く主張された。これは研究態度は勿論、具体的な研究を通じて実践され始めている。
(ハ) 生物の諸性質を研究する場合、発育段階・生活年周期の各段階における生活の主要な側面を明らかにすること。これについてかなりその重要性が認識され具体的な実践に移されつつある。
(2)ある程度研究が行われているが、不十分な問題
(イ) 主要卵期・産卵場・産卵群の組成
(ロ) 漁期外のサンマの生活とその環境
(ハ) 沖合の海洋観測
(3)研究上跛行的に不十分な研究分野
(イ) 魚群行動に関する研究
(ロ) 漁獲性能・漁具漁法に関する研究
3.具体的研究課題
(1)環境
(イ)物理環境
(ロ)生物環境
(2)分布・移動・漁場形成
(3)再生産
(4)栄養と食性
(5)系統群
(6)年令・成長・成熟
(7)魚群行動・灯付き
(8)数量動態
(9)漁具漁法と漁獲性能
をあげ、それぞれの問題点を述べた。
そして、これらの研究を発展させる上で重要な研究方法論上の問題だけでなく、広範囲にわたる調査対象空間と時間及び多様な課題に対応する組織的な調査態勢の確立の問題など多くの隘路があることを訴えられた。

 次いで、個別の問題として、第1研究室の小坂研究員からサンマの年令の研究を中心として、以下のような考え方が紹介された。
1. 年令・成長のみを他の生態との関連なしに研究しても意味がない。
2. 昭和46〜49年の調査で、北上期のサンマの発育と環境との関係に手がかりを得た。
3. サンマの生物的特徴を、ダツ目の他の種と比較すると
(1)数量的に多い
(2)数量変動が激しい
(3)生産性の高い北方の海を生活のある時期に利用している。
4. これらのサンマの種の特性をどう把握するかというのが課題である。
5. 中でも、黒潮域から親潮域へ突入する段階での生態的特徴(幼魚期から未成魚期に移行するときの)
6. 一般に、どの種でも成長は一様にダラダラと行われるのではなく、段階的なものである。
7. しかし、サンマの全部が幼魚期から未成魚期に移行する段階で親潮域に突入するとは限らず、混合域内で移行するものもあり、この割合が成魚の漁獲量に結びついているのではないかと考えている。
8. 年令・成長の問題について
(1) 鱗のリングの査定が客観的であったかどうかの再検討が必要だと考えた。
(2) できるだけ客観的にみると、中型群といわれるものには年輪らしきものはなかった。
(3) 大型群といわれるものには年輪がみられた。
(4) 中型群と大型群は別系統群とするよりも同一系統群であって、大型群が生活2年目中型・小型群が1年目と考えているが、サンマの生活様式全体をとらえた上でないと完全に結論できないのでまだ発表していない。
(5) 成熟・産卵について、生殖腺などを見ていると、中・小型魚のうちには、産卵するものと、産卵しないものとがいて、一部産卵したものでも生き残るものもあるように思われるふしがある。
9. 歴史的な過程で獲得された種の習性が、偶然性の問題で実際にはそうなっていない場合、生態的にどうなっているのかが問題であり、これが漁況とも関連するのではないかと思われる。

 また小達第3研究室長は、卵稚仔調査の結果から、次のような見解と状況を紹介した。
1. 東北海区の回遊性魚は一般に、産卵場が暖水域にあり、索餌期に東北海区の混合水域に入り育つ。
2. サンマの産卵期は11〜5月である。
3. 産卵親魚は冬には黒潮流軸を越えて、黒潮反流域に達する。このため、近海だけで見ていると、秋と冬の2回の産卵期とみられたが、最近の調査では冬(1〜3月)にもかなり産卵されていることがわかった。
4. しかし、小坂氏とはやや見解が違い、秋に黒潮前線周辺で生まれた群が大型群につながり、冬に黒潮上流及び反流域で生まれた群が中型群につながると考えている。
5. 最近ソ連では、本邦南方沖合で1〜5月の間に数回の定線観測を反覆して、サンマの稚仔の分布状態を調べ、毎年の稚仔量と翌年の成魚の漁獲量との間に正相関がみられると報告している。

 以上の紹介に対して、調査の組織化・必然性と偶然性・成長と年令・ソ連の研究調査態勢などについて質疑討論がされたが、その詳細は議事録に譲り、私の感想をいえば、一頃サンマの資源研究にかなりの批判があったが、漁況論をテーマとした研究態勢が一定の弱点を持ちながらも、ポピュレーション・ダイナミックスに惑わされず、一貫して生態研究を追い続け、種の生態的特徴を明らかにするという新しい方法論と結合し、しかも行政対策費による研究費の裏付けもあり、ソ連との共同調査研究という有利な条件も展開されて、大変発展しているという印象であり、自然変動の大きい多獲性プランクトンフィーダーの資源研究の中では、サンマの研究が一番進んでおり、新しい展開はここから起こっているということを知りました。断片的な報告や情報だけから自分なりに判断することの危険を思い知らされ、私の自惚れを深く反省させられたところです。
 なお、第2研究室の浅野研究員から南方カツオの標識放流問題が、八百主任研究官から51年度購入予定の電卓についての説明があり、電卓の共同利用について今後連絡を深め具体化してゆくことで意見が一致するなど、長い間の懸案であった交流会が実現しただけでも成果だと思っていた以上に、多くの成果があったと私は感じました。
 「播かぬ種は生えぬ」というか「論より証拠」というか「案ずるより生むは易し」というか、何はともあれやってみることだという感じです。もっとも「熟れた柿が自然に落ちる」ような時の進行−柿の内部での成熟−があったことも事実です。

(八戸支所長)

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