着任に当たって

佐藤重勝


 二年九ヵ月の霞ヶ関生活を終えて、古巣の東北水研所長に着任しました。もともと水研単位で物を考えていた私にとっては、却って気負いのない冷静な気持ちで勉強しなおせると思っています。
 この三年間に起ったいろいろな出来事が水産業と水産研究に与えた影響は実に大きなもので、今日の行政が研究者を見る目と国民が水産業を見る目は三年前と比ぶべきもありません。まずPCBと水銀をめぐる出来事はこれまで水産行政の枠内で事を処理する習慣をこわし、それまで建前だけであったPPP(汚染者負担の原則)を約束事のように変えてしまいました。この事は、水産行政に舌ざわりのよい事だけを云う研究者では役に立たず、何処に出しても誤りなく真実が云えまた何処に出しても通用する研究者へと行政需要が変化したことを意味するのです。
 そしてそれに続いて起こった食糧問題、オイルショックは資源戦略の前には弱い日本経済の姿を浮ぼりにしました。更に海洋法会議の予想される結論は、自給率現在ほぼ100%である水産物の行方にも暗い影を落としています。私は六年前、松島におけるGSKのシンポジュームで、国の独立に関連する食糧問題と現在の社会で商品として流通する食品を区別して考えるのが、この種の問題を考える場合の前提であると主張しました。経済的に成立たない食糧問題を拡大するのも問題ですが、安くて売れれば良い式の食品第一主義の考え方は、一端輸入という主産地を見出せば、ここに向っての傾斜は止まるところを知りません。これが50%に満たぬ自給率となった農業生産の現実であり、これからの水産が直面する問題でもあります。
 部分的にも同様な事態が見られます。例えば6〜7倍の餌料魚を消費する給餌養殖を、餌料魚をそのまま食べた方がよいとして批難する考えがあります。しかしこれは流通しない餌料魚を、自然に代って食地位の高い魚に変えて、流通させていると考えれば、その効果は両者の生産の和プラスアルファーとなるでしょう。その意味では部分の量が小さいからといって軽視はできません。例えば小さな副業部分がなくなることで本業部分が立ちゆかなくなることもあるからです。また水産物に対する需要が大衆魚から中高級魚に変ったことに気分的に抵抗を覚える人がいるようですが、その人達は恐らくわれわれ日本人が牛や豚を食べはじめてからまだ100年しかたっておらず、現在日本の漁業生産を超える1,200万トンもの餌飼料を輸入していることを忘れているのでしょう。われわれ日本人の伝統ある食物文化であるところの魚の味に対する嗜好性を満たすことも含めて、国民が水産業に要求するものに応えてゆかなければならぬ時代が来たと私は考えています。
 これからの問題の評価をきっかけにして、これからの日本漁業の多面的な発展の方策とそれに対する研究の方向について、私もいっしょに研究所で議論をはじめ、漁業者や行政の皆さんの交流も深めてゆきたいと考えています。
(所長)

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