東北海区における底魚資源利用をめぐる最近の情勢と資源研究について

安井達夫


 本誌4「魚の豊庫北部太平洋の魚類資源研究の新たな発展をめざして」の中でも、ちよっとふれておいたように、第二次大戦後の過剰投資によって激化した底魚資源利用をめぐる諸矛盾は、減船整理と遠洋漁場への転換によって、表面的にはおさまったようにみえていたが、近年小型・中型の近海・中型底びき網漁船の大型化・省力化・機械化などの技術的発展にともなって、再び「乱獲」問題が云々されはじめ、一時は不要といわれた底 魚資源研究にお知恵拝借のお座敷がかゝるようになってきた。
 これは東北海区だけにかぎったことではなく、東支那海のいわゆる以西底びきでは、最近減船整理が実施され、ハミでた船がイカ釣漁船に転換しているし、日本海西部でも沖合底びき船がイカ釣を兼業することによって、底魚資源への過剰努力の投入を緩和している。しかし東北海区では不幸にしてそのような過剰投資を他に転換させうるような適当な漁業がみつからないので、底びき漁業者内部の階層間の競合あるいは沿岸小漁民との対立という形が次第に激化してきている。
 具体的にいうと、福島県では数年前に深海のメヌケを主対象とした漁場でのみ操業を認められたスタントロール漁船が、メヌケ資源を乱獲したあげく、最近高級魚化したヤリイカをねらって浅みへ操業範囲を拡大してき、従来の手操り(駈廻し)漁船は、小型底びき漁船の大型化による沖合進出との両方から侵蝕されて、自らもスタントロール化せざるを得ないという状況になってしまった。また、使用漁場が広い範囲にわたって福島県船と共通している宮城県南部の沖合底びきも同様に開口板使用の方向をたどらざるを得ない状況におかれているが、金華山以北の漁民達がこれに反対しているため、公然とした許可にならず、一年ごとに試験操業という形で認められているが、実質的には認められたも同然になってきている。岩手県は宮城県北部と同様沿岸漁民の反対が強く、県当局も開口板使用を推す方向に踏みだしきれなかったが、最近では、南から押し寄せるスタン化に抗しきれず、県内の底びき漁業者達から強い要求がでているという。青森県はいささか様子がちがって、昭和30年頃には沖合底びきが、自県沖の漁場を完全に放棄してしまい、いわゆる北転船として、千島・カムチャッカ・ベーリングへ進出していってしまい、残された漁場では小型底びき漁船が操業し、これが次第に大型化して、現在は30年前の沖合底びきと同程度の漁船規模になっている。この小型底びきはまだ手操=駈廻しであるが、カムチャッカ・ベーリングの専業船は既に数百トンの大型スタントロールになっており、124トン級の兼業船(千島と北洋)は、最近スタン化が進み、試験操業の形ではあるが、本年から全船がスタン化しようとしている。青森県の場合沖合底びきは自県沖漁場を全く使っていないから、自県の沿岸漁民との摩擦はないが、北海道の沿岸漁民の抵抗にあっている。
 さて、このような開口板使用=スタントロール化は、漁業労働力の不足をカバーするためにどうしても必要な省力化であり、また1曳網あたり漁獲量も必ずしも従来の手操=駈廻しより多くはないし、対象魚種も違うから決して「乱獲」にはならないという理由で許可される方向に動いているが、なる程、駈廻しと共存している間は、駈廻しでは漁獲しにくい高級魚を選択的にとってはいるが、そもそもスタントロールという漁法は、曳網時間も自由に調節できるし、網は必ずしも海底に接してひく必要はなく、岩礁があればその上をかわしてひくこともできるし、魚群が海底をはなれていれば、離底びきという方法もとれるといった具合に、極めて便利にできているので、全船がスタン化してしまえば魚種の選択は単に金目になるかならないかだけの理由でなされるに過ぎず、どんな魚も自由自在に漁獲するようになろうから、現在の駈廻し漁法との比較だけから結論することは大きな誤りをおかすのではなかろうかと考えている。
 だからといって、技術の改良進歩は人類社会の生産力の発展の歴史の方向であり、これを押しとどめることはできない。しからば、それによって沿岸漁民が圧迫され、漁業から足を洗わなければならなくなるのは社会の発展上やむを得ないことなのだろうか?私はいつも、この点について漁業行政にたずさわる人達と議論をたたかわせている。
 結論をいえば、技術の発展が単に当面の競争に勝つことだけに使われるのではなくて、社会の発展、即ち非人間的な漁業労働者の長時間にわたる重労勧の軽減、それに関連した魚類資源に対する過剰な圧力の軽減などの方向に使われるべきなのであって、現在のように技術の発展が単に経営の合理化、利潤の増大にのみ使われるから、沿岸漁民への圧迫、資源のより一層の減少をもたらすので、そこでは一向に改善がないのである。勿論このような中では漁業労働者の長時間重労勧は少しも軽減されないばかりか、場合によってはむしろきつくなることさえあり、それがひいては、漁業経営者の経営状態をかえって悪化させるという結果をもたらす。日本の漁業の発展の歴史はこの繰返しであった。
 八戸の地元ではトップクラスのある漁業者は、ノルウェーの漁業事情を視察して帰り「今までおれは日本人が世界一魚とりの名人だと信じてきたが、ノルウェーの漁業をみて、日本人ほど下手な魚とりはいないということを知った。ノルウェーの人達は必要以上に魚をとらない。日曜日は魚が目の前にいても休んで必ず教会へ行く。そしてゆったりした気分で生活を楽しんでいる。日本人は魚のあるかぎり、夜も日もあけず働き通して魚をとり、しかも買いたゝかれている。こんな下手な魚のとり方はない」と私に話してくれ、「資源の研究を大いにやってくれ」とはげましてくれた。
 問題がおきるとお座敷がかゝるが、問題が表面にあらわれていないときは、資源研究なぞ不必要だというような社会的背景の中からは真の資源研究は発展しようもないし、それは結果的に漁業そのものを衰退の道においやるものである。
 真剣で真面目な研究者達は、このような社会的背景の中で苦しみ悩みながらも、毎日魚の体長を測り、鱗を見、波にもまれて働いている。
Tatsuo Yasui

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