増殖研究施設の開設にあたって

佐藤 栄


 新しい歳をむかえて間もなく、私は”海苔の歴史”(宮下章著 全国海苔問屋協組連)の寄贈に恵まれた。1,400頁にわたるぼう大な力作で、まだ私はそれを読み切っていない。しかし、東北のノリ養殖の歴史的発展について、私はそこから多くのことを学ぶことができた。
 もともと柴ノリは、東北では江戸時代から産地が3ケ所あった。大船渡湾・気仙沼湾および松川浦がそれで、江戸市場とむすびついた廻船問屋猪狩新兵衛その他の先駆者によって開発されたものである。当時の三陸の漁民は漁業だけでは暮しが立てられず、かといって耕地も少く、苦しい生活をつづけていた。冬場の農・漁閑期の仕事を切望していた漁民にとって、柴ノリ養殖は絶好のものであった。しかし、それが気仙沼周辺、松島湾沿岸、山田湾などに拡がったのは日清戦争後であり、さらに志津川・雄勝湾・女川湾・万石浦など陸中海岸に拡がったのは、日露戦争後、日本経済の膨脹が行なわれてからである。つまり、新兵衛あるいは宮城水試らの先駆的な技術開発の努力は、社会の経済的土台の発展に伴なう市場の拡大および漁村の生産関係の成熟をまって、ようやく花開くわけである。そこに私たらは、科学と技術と社会的生産の歴史的関係に内在する法則性の、1つの典型をみることができる。
 試験機関の仕事は、今まで主として生産対象と生産用具に関心の焦点があった。たとえば、サンマ・アワビ・ノリなど魚貝藻類について、いつ、どこで、どれくらいどんな状態で、かれらが栄養をとり、生長し、増殖し、生殖し、集合・分散・移動し、環境に反応するか、ということが個別に詳しく調べられ、それらに対応する生産用具が研究されてきた。科学の諸分科をつうじて、私たちはいろいろな視点から生物的生産について莫大な事実と法則性を捉えてきた。しかし、生物が生活諸条件とのあいだに特殊な関係をとりむすびながらその基本的諸性質をうまく実現できるように、総体の運動を推進する原動力がどのようにして生れてくるかということが、わかっているわけではない。つまり、いろいろな種が無機的自然や、同種あるいは異種の生物とのあいだにそれぞれ特殊な関係をとりむすびながら、生物の基本的諸性質−たとえば栄養、生長、増殖、自己再生産、移動、反応など−を総体的に展開していけるように、現実の種の生活を推進する原動力がなにかという生物的生産の原理は、まだ説明されていないのである。それでも莫大な研究の成果は、生産漁民の長年の経験および技能と噛みあって、日本の漁業生産力の発展と直接、間接にむすびついてきた。
 ところで、日本漁業やその研究の歴史的過程がしめしているように、その発展の道すじは決して平担ではなかった。生産力の発展が一定の水準に達すると、それをとりまく旧い生産関係とのあいだに、噛みあわない対立、矛盾が出てくるからである。漁船の動力化、漁具・漁法・漁場の開拓など一連の生産手段の開発によって、日本漁業が沿岸から沖合へ、沖合から遠洋へと進んできた生産力の発展の歴史は、つねにこの対立・矛盾を統一することによって、はじめてそれが実現されたものである。しかし、近年のように高度経済成長の急速な発展が、第一次産業にたいして労働およぴ市場支配をつうじて圧迫を強め、生産基盤を破壊するだけではなくて、人命と自然を破壊しはじめている緊迫した生産事情のもとでは、科学と技術と社会的生産の関係について、今までよりさらに複雑な事態がおこってくる。
 たとえば、長年の研究成果から資源管理について一定の提案がおこなわれても、厳しい生産事情のもとではその実現がなかなか難しい、というような漁業が段々ふえてくる。また、国内の漁業経営が苦しくなって漁業紛争が増加し、国際的に漁業規制が厳しくなり、さらに海の自然破壊がひろがってくると、個別の生産手段の開発だけでは問題の解決が困難となり、広い視野から漁業研究を見直してみるということがおこってくる。事情が大変切迫しているという理由から、そこでまず最初にあらわれるのは生産力論である。これらはその名前がしめすように、現実の社会の経済的土台の矛盾、つまり社会的生産を発展させる原動力である生産力と生産関孫のあいだの矛盾を考慮の外におく一面的な論議であることに特徴がある。たとえば、食糧蛋白費源、海洋資源、エネルギー資源というように、対象を一般化して捉える壮大な開発論のなかのいくつかに、私たちはその典型的な姿をみることができる。また、生物的生産についても、諸学派の体系的理論の効果と限界、あるいは生物的生産の原理の問題を考慮の外において、生態系理論、卓越種交代論、繁殖論などを機械的に導入するということなどがおこってくる。
 現実の漁業や漁業研究が当面している大きな困難は、もともと社会の経済的土台の矛盾に根ざしているものであるから、社会的生産および生物的生産の発展法則に根拠をもたない開発論や生物的生産の理論が、現実の困難を基本的に解決する方向をしめさないことはいうまでもないであろう。しかし、分科することによって発展し、それだけまた片寄りを強めている近代科学においては、一面的な視点からおこなわれる生産力論や生物的生産の理論もまた、仮定的な条件のもとで可能性を含む理論として市民権をもっている。そして、研究成果、課題および体制などの評価・選択をつうじて、広い視野からの総括的反省という名のもとに、研究と生産のむすびつきについても一定の指導力をもちはじめてくる。しかし、片寄った視点からおこなわれる価値評価や方向づけが、漁業とその研究の健全な発展を阻害することはいうまでもない。理論それ自身の誤りではなくて、それが一面的であるということによって悲劇がはじまるのである。
 激動している社会の経済的土台の上にたって、いま大きな転機をむかえている日本の漁業およびその研究の困難と発展を問題にしなければならない今日の試験機関は、今までのように単に個別に、生産手段の開発や生物の基本的諸性質を問題にするだけでは全く不十分であろう。それだけでは、研究と生産のむすびつきの問題はもちろん、それぞれの専門領域の研究の発展すらも危いといってよい。私たちにとって今もっとも大事なことは、それぞれの専門領域の研究をとおして、現実の漁業とその研究の大きな困難がどのようにして生れ育ち、今後それがどのように変化・発展していくかということについて、広い視野から共通の理解を深めることであろう。そして科学的展望のもとに、現実の漁業とその研究の基本的な困難をとりはらっていくことである。
 ところで、気象の長期予報や漁況・海況の予測がなかなか困難であるといわれているように、日本の漁業とその研究の問題点が、どのようにして生れ、変化・発展していくかということを予見することは、たしかに困難な仕事の1つにちがいない。しかし、この問題を予見する科学の方法がないわけではない。たとえば、明治100年にわたって日本の海洋・漁業生物研究は莫大な蓄積をおこなった。日本漁業はこの間に、沿岸から沖合へ、沖合から遠洋へと、その経済構造を変えながら発展してさた。また、それらの背景にある社会の経済的土台も、日本資本制経済の段階的発展として特殊な足跡を残している。いまこれらの3つの活動について、明治100年のあいだにそれらの構造特性が、どのように変化・発展してきたかということを眺めてみると、10数年に1回あて、段階的に3つの構造特性がほぼ一斉に変化していることがわかる。つまり、3つの活動は相互に密接な関係をもちながらも、歴史的には社会の経済的土台すなわち日本資本制経済の段階的発展に規定されながら歩んできたことがわかる。いうまでもなく、社会の経済的土台の影響が一方的にはたらくわけではない。漁業活動内部および研究活動内部の特性や成熟の段階によって、それぞれ特殊な関係が生みだされる。また、生産手段の開発が生産力の発展に与える影響も一方的ではない。科学・技術の評価と選択をおこなうのは、主として生産関係の特性であった。
 こうして、漁業とその研究が日本資本制経済の段階的発展に規定されながら、歴史的法則にしたがって段階的に進んできた過程をたづねてみることによって、私たちは日本漁業とその研究の現在の位置を正しく知り、また現在なにをしなければならないかという今日の課題を知ることができる。そして、さらに進んで、漁業とその研究が今後どの方向へ進むかということを予見する科学的根拠が得られるであろう。つぎの段階への新しい変化は、いまの段階がどのような矛盾をもっているかということにかかっているからである。
 このような見地から眺めた日本漁業の問題点については、機会を改めてのべてみたい。しかし、すでにふれたように高度経済成長のもとで第二次産業の圧迫が、沿岸漁家漁業において生産の停滞となって現われはじめたことは周知のとおりである。その所得もまた、東北の例でいえば1人当り都市勤労者の90%にすぎない。東北の漁協の系統融資がオーバー・ローンをしめしているように、漁民の経営と生活は決して楽になっていない。このような生産事情のもとで、昭和45年度から5ケ年計画ではじめられた”浅海域における増養殖漁場の開発に関する総合研究”は、漁家の生産基盤を守り育てていく重要な仕事の1つである。この研究の1つの柱となっている餌科藻類の密林造成は、幸い第1年目で大きな成果がえられた。磯焼けで砂漠のようになった江の島の実験水域に、餌科海藻を育成し、ウニ・アワビの濃密な群集をつくることに成功し、研究に明るい見とおしがえられた。このことは単なる偶然ではなくて、長年にわたる現場の研究の蓄積と、数ケ年にわたる予備実験の上につみあげられた成果の1つなのである。
 しかし、この研究が期待しているのは、単発的な生産手段のたんなる開発ではない。それがどのような限界をもっているかということは、すでにのべたとおりである。
 私たちの研究の力点は、先行する技術と理論の批判・継承の土台のうえにたって、浅海のいろいろな生物が無機的自然、および同種あるいは生物とのあいだにおこる矛盾を統一しながら、生物の基本的諸性質を総体的に展開していく現実の種の生活の特殊形態をとおして、生物的生産の原理を明らかにしていくことにある。と同時に生産漁民と共に広い視野から、現実の漁業とその研究の困難を生みだしている問題点にたいして共通の理解を深めながら、現実の困難をとりのぞいていくことにある。
 そのためには、いろいろな分野の多くの研究者の協力が必要である。新しくつくられた増殖研究施設は、そのための有力な武器の1つである。ささやかながら、外来研究者の宿泊施設も用意されている。多くの科学・技術者と手を握りあって、お互に批判・自己批判をくりかえしながら、東北あるいは日本の沿岸漁業研究のメッカをつくりあげていきたいものである。
(所長)

Sakae Sato

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