激動期をむかえた水産研究


 生物はそれを捉えるいろいろな視点のちがいによって、さまざまの姿をみせてくれる。事実、科学の諸分科はそれぞれの視点にたって、生命および生物的生産について、数知れない莫大な現象とすぐれた法則を捉え説明してきた。しかし、事実と法則が豊かになるにしたがって、いろいろな視点から得られた諸法則の相互のあいだの関連が問題になってきた。というのは、現実の生物の生活においては、それらの諸法則はいろいろな条件のもとで統一されているものであり、それらの総体的展開によってはじめて、生物は一連の歴史的変化・発展を実現し、また現実の生活を営んでいるからである。
 農・林・水産などの分野においては、科学の諸分科をつうじていろいろな視点から得られた事実と法則が、とくに生産手段の要素の1つである”生産対象”の実体として統一されることが必要となる。しかし、いろいろな視点から得られるさまざまの法則を、そのまま総計しても、対象の実体を反映することはできない。生物はいろいろな条件のもとで、生活諸条件との関係を統一しながらその運動形態を質的に変化させているから、対象の運動形態の特殊性にしたがって、それらの諸法則は統一されなければならないであろう。
 ところで、研究が生みだした諸法則の基盤にある理論や理論体系は、それぞれの時代の歴史的産物である。科学者はその生活した時代の社会的経験にもとづいて、世界を解釈し、理論を生みだしてきた。科学あるいは理論の発生と発展は、社会の経済的土台と密接に関係しているのである。このことは、科学研究が産業に従属することを意味するのではない。また、技術の進歩が一方的に生産力を規定するという意味でもない。科学の発展は、歴史的には社会の経済的土台に規定され、経済的土台の歴史的発展の諸段階に対応して、科学と技術と生産様式がそれぞれ特殊の関係をとりむすんできたということである。
 ここ1〜2年、私たちの周辺には、研究の社会的役割、長期展望、研究体制および科学の方法論などの問題が、一斉に時を同じくして登場しはじめたようにみえる。しかし、このことは戦後の経済復興期(1945〜'54)および高度経済成長期(1955〜'69:朝鮮戦争の終結にはじまる独占の発展)のそれぞれの初期に、激しく論議された問題である。そして、今回は日本経済が新しい段階にはいりつつあることに対応するものである。
 戦後2回にわたる経験と、先にのべた観点から、上にのべた諸論議が現代的な意味をもつためには少くもつぎの2つの観点から問題を捉える必要がある、と私はおもう。第1の観点は、いろいろな理論や理論体系が、どのような経済的土台を条件として生みだされ、変化、発展してきたか、ということである。第2の観点は、それらの理論や理論体系が、先行する理論をどのように批判・継承して生まれ、変化・発展してきたか、というとこである。研究の発展過程において、2つの問題は別々にあるのではなくて、統一されているのもである。しかし、統一されている内容を科学的に、具体的に捉えるためには、まず別々の側面からそれらを捉えなければならないであろう。
 研究者の意図や良心に拘わりなく、科学・技術の研究はいま、社会の経済的土台の質的変化の過程で、激動期をむかえている。それは私たちが未だ経験したことのないほど大きいものである。研究者は科学的歴史観にたって、お互いに十分に理解しあえる客観的な展望をもって、この激しい嵐をのり切っていかなければならない、と私はおもう。
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