北太平洋亜寒帯循環と気候変動に関する国際共同研究

大項目:亜寒帯循環での二酸化炭素の挙動に関する観測研究

担当テーマ: 亜寒帯域の生物ポンプによる炭素物質輸送の季節変動の把握

 

北海道区水産研究所亜寒帯海洋環境部生物環境研究室(一部北海道東海大へ委託)

 

連絡先 

津田敦(北海道区水産研究所 tsuda@affrc.go.jp tel: 0154-92-1723

齊藤宏明(東北区水産研究所 hsaito@affrc.go.jp tel: 022-365-9929

服部寛(北海道東海大学工学部 hattori@dm.htokai.ac.jp tel: 011-571-5111


 

[はじめに]

海洋における生物活動は、海洋表層の二酸化炭素分圧やpHを変化させるとともに、粒子の大型化、鉛直移動等によって炭素物質を深層へ輸送するため、大気―海洋間の二酸化炭素収支や海洋における炭素循環に影響を与える。生物活動に伴う炭素物質の鉛直輸送は生物ポンプと呼ばれるが、北太平洋亜寒帯循環域特に親潮域は、他の海域に比べて生物量が多く、生物起源物質に沈降速度の大きな粒子が多いため、二酸化炭素の挙動を明らかにするためには、生物ポンプの役割を明らかにすることが重要である。本研究では、親潮域において調査船観測を周年に亘って行い、生物活動の季節変化を調べると共に、モデルによる数値計算、室内実験による生理特性の把握によって、生物活動に伴う炭素物質挙動およびその変動要因を明らかにした。

 

[結果・考察]

 西部亜寒帯太平洋は、、冬季には鉛直混合によって二酸化炭素分圧が大気を上回るため、二酸化炭素を放出する。しかし、春季には光合成によって植物プランクトンが二酸化炭素を取り込むため、海面の二酸化炭素分圧は大気よりも大きく下降し、二酸化炭素の吸収域となる(図1、2)。

 植物プランクトンに取り込まれた炭素は、植物プランクトン自身の沈降の他、動物プランクトンに捕食された後に、糞粒(fecal pellet)として、または日周、季節的鉛直移動によって深層に輸送される。また、糞粒や植物細胞が集まってaggregateと呼ばれる大型の凝集体を作り、高速輸送される場合もある(図3)。このような生物活動に伴う炭素物質の深層への輸送を“生物ポンプ”と呼ぶ。

 生物ポンプの中で重要な役割を果たしているのは、植物プランクトンの珪藻“の沈降によるものである(親潮域で優占する珪藻のChaetoceros socialis図4左とThalassiosira nordenskioldii図4右)。珪藻が沈降する場合、沈降速度は2m/dから10m/dに達し、またしばしば粘着性の高い物質を放出して大型の凝集体を作るため、生物ポンプを駆動する要因として重要である(図5)。しかしながら、健康な珪藻の沈降速度は極めて遅いこと(<0.2/d)が知られている。沈降速度が速まるのは、光律速、栄養塩律速等の何らかのストレスを受けている場合である。また、このようなストレス要因によって、珪藻のSi:N比が上昇することが知られている。

 珪藻のSi:N比がブルーム末期に上昇する事は親潮域表層の栄養塩濃度の観測から示される(図6)。冬季の鉛直混合によって表層に供給される栄養塩のSi(OH)4NO3の比は1.65であるが、4月に植物プランクトンがブルームを起こし、クロロフィル濃度が上がるにつれ、その比は上昇する。しかし、ブルーム盛期から末期にあたる5月になると、その比は一転して1.65よりも低下することが多い。これらの結果は、ブルーム後期に珪藻によるSi(OH)4NO3のとり込み比が増加することを示しており、珪藻が何らかのストレスを受けていることが示唆される。

 さらに、生態系モデルを用いた数値実験によって、珪藻のSi:N比が光律速または珪酸枯渇によって上昇する事が示された(図7)。そこで春季の光(波長400-700nmの光合成有効放射)の消散係数を調べたところ、クロロフィル濃度の上昇とともに消散係数が増加し、春季ブルーム期に観察されるクロロフィル濃度(>5mg/m3)に達するような場合、植物プランクトンが光合成可能な、表層照度の1%の照度となる深度が春季の混合層深度よりも浅くなる(図8)。このことは、ブルーム期に珪藻が自己遮蔽によって光律速を受けることを示している。

 では、光律速がない場合、珪藻はどのような生理的変化をしめすのであろうか?そのため、ブルーム開始前に、親潮域の表面海水を採取し、十分な光を照射して培養実験を行なった。珪藻は培養開始後指数関数的に増加するが、硝酸塩がまず枯渇し、その後珪酸が枯渇することによって増殖が止まる(図9)。プランクトンのSi:Nは光律速がないにもかかわらず、培養後数日から10日で上昇し始めるが、このSi:Nの上昇はいずれの場合も硝酸塩の枯渇後に観察される。実際の海洋では、硝酸塩はブルーム末期には枯渇していない。これらの結果は、親潮域の植物群集が、光が十分にあれば硝酸塩を使い果たす事による硝酸塩律速によって成長制限を受け、Si:N比が増加するのに対し、実際の海洋では、光律速によって、硝酸塩律速がかからなくてもSi:N比が増加することを示唆している。

 しかしながら、西部亜寒帯太平洋に出現する珪藻種の生理特性、光律速が及ぼす影響についてはほとんど知見がない(図10)。そこで、親潮域に出現する種に関して、まず十分な光を照射して培養した後、照度を減少させ、光律速が珪藻の生理特性に与える影響を室内実験で調べた(図11)。 いずれの種も照度が減少することによって、細胞あたりの炭素含有量、窒素含有量は低下する(図12)。しかし、珪素含有量は、照度減少とともに増加する種がみられたものの、一部の種ではほぼ一定であった(図13)。この照度減少に対する炭素、窒素と珪素含有量の反応の違いは、炭素、窒素の代謝が光依存であるのに対し、珪藻の殻を構成するに酸化ケイ素合成は呼吸エネルギーに依存しているためである(図14)。従って、珪藻のSi:N比は照度減少によって増加する(図15)。この結果と現場観測結果から、ブルーム末期に珪藻が光律速による成長ストレスによってSi:N比を増加し、沈降速度が増加することによって生物ポンプを駆動していることが示唆された。

実際、セジメントトラップの炭素と珪素の沈降量を比較すると、大きな炭素フラックスが見られる場合にはSiのフラックスも多く、特に春季には沈降物質のSi:C比が大きなことから、この時期に、光律速等の成長ストレスによってSi:Nを増加させた珪藻の沈降が、炭素物質の輸送に重要である事が示された(図16)。

以上の結果から、親潮域において生物ポンプは、1)珪藻の増加による炭素のとり込み、2)珪藻増加に伴う、自己遮蔽による光環境の悪化、3)光律速によるSi:N比の増加と沈降速度の増加、という過程を経て、珪藻によって駆動されることが明らかになった(図17)。

 

動物プランクトンは、糞粒の排泄および鉛直移動によって炭素を深層に輸送するが、亜寒帯太平洋におけるそれぞれの機構による輸送量に関してはほとんど知られていない。それは、季節を通じた糞の排泄量、生物量の変化等の観測研究が十分にはなされていなかったためである。本研究では、亜寒帯太平洋で優占する、Neocalanus属橈脚類3種(図18は最も生物量の多いNeocalanus cristatus)とEucalanus bungii bungiiに関して、生物ポンプに果たす役割を調べた。

Neocalanus属3種とEucalanus bungii bungiiは周年を通じて動物プランクトン群集で優占している(図19)。これら4種の橈脚類は春季から夏季にかけて表層で摂餌するが、特に小型の動物プランクトンに対する摂餌量について定量的な評価がなされてこなかった。そこで、珪藻(中心目と羽状目)、渦鞭毛藻、繊毛虫、有鐘繊毛虫に対する濾過量を季節毎に求めた(図20)。その結果、ブルーム期であっても、微小動物プランクトンは重要な餌料であり、特に初夏(7月)には、むしろ微小動物プランクトンを盛んに摂食していることが明らかになった。このデータを用いて摂餌量を求め(図21)、生物量、セジメントトラップによる観測等のデータを用いて、これら動物プランクトンによる炭素循環過程を計算した(図22)。その結果、糞粒による1000mまでの輸送量は珪藻等を含む沈降量の23%を占めることが明らかになった。また春季から夏季に表層から深層へ移動する季節的鉛直移動による炭素輸送量は、沈降粒子による輸送量の107%に相当する5.0gC/m2/yearに達する事が明らかになった。季節的鉛直移動による輸送量は、これら橈脚類の生産の13.5%に過ぎないが、他の沈降粒子による輸送と異なり、深層まで一気に運ばれるという特徴をもっている。また、季節的鉛直移動による輸送は、セジメントトラップでは捕捉できない、今まで把握されていなかった輸送量であり、亜寒帯域においては、橈脚類が生物ポンプに極めて重要な役割を果たしていることが明らかになった。

 

大気―海洋間の二酸化炭素収支は生物による炭酸カルシウム同化によっても影響を受ける。その主役は円石藻である(図23)。円石藻はしばしばブルームを形成することがしられており、特長のある輝度を持つため人工衛星から補足することができる(図24、アラスカ沖で発生した円石藻ブルーム。白っぽく見えるためwhite waterと呼ばれる)。円石藻は炭酸カルシウムでできたcoccolithと呼ばれる鱗片を細胞の周りに付着させているが、炭酸カルシウムの同化は海水中のアルカリ度を変えるため、結果として海水中から大気へ二酸化炭素を放出する働きがある(図24)。本研究では今まで不明であった、親潮域における円石藻の分布を調査船観測によって周年に亘って調べた。得られたサンプルの電子顕微鏡解析によって今までその生態が不明であったパルマに関する知見も得られたため、あわせて紹介する(図26はパルマの電子顕微鏡写真。円石藻と異なり珪酸質の殻を持つため、アルカリ度の変化には寄与しない)。

親潮域ではEmiliania huxleyi ver. huxleyiが出現種の51.6%を占め (図27)、ほぼ周年に亘って優占した(図28)。春季には20m付近に多く分布したが、季節とともに分布層が深くなる傾向があり、夏季には50m層で最も密度が高くなった(図29)。円石藻の分布水温、塩分範囲は広いが(図30)、表層混合層下部で分布密度が高い傾向があることが明らかになった(図31)。

いくつかの仮定を用いて炭酸カルシウムの生産量を推定し、円石藻によるアルカリ度の変化量を計算したところ、5月から10月までの期間で1.4mmol/lであった(図32)。観測期間以外にブルームが形成されていないとすれば、円石藻によるアルカリ度の変化量は、大気−海洋間の二酸化炭素収支に大きな影響を与える事はないことが示された。

図33はこの研究のまとめである。

 


生物ポンプの季節変動(図1〜33)